@ 新聞投稿

 

この欄は私が以前趣味で新聞に投稿したものを保存していたのを、

家族に手伝ってもらってパソコンに入力してもらいました。

以前は自分の書いたものが綺麗に活字になって 、

新聞に記載されることが嬉しくて、まめに書いていましたね。

知り合いや友達から新聞に載っていた、「あなたの記事を見たよ」とか

編集者を通して読者の方からお電話を頂いたりしてとても楽しんでいました。

また記載されるとその副産物と言うか、謝礼が送られてきて

これも結構嬉しくて有難かったですが、これはほとんど人にあげてしまいました。

ここ数年間はなにも書いていなかったのですがこれを機会にまた文章を

綴ることが出来たら、それも幸せなことだと思います。

 

仲間の協力で夢の歌づくり

ハイビスカスの

子供の心に届くしつけを

約束の日時は復唱してメモ

苦労の後の喜びを知った

希望失わぬ船村徹さんの歌

好きで始めたことならば・・・

頑張り過ぎず日々を豊かに

「素直なこころ」を政治家に望む

身近な四季の移ろいに喜び

能力一辺倒の教育こそ元凶

若い時から趣味持とう

おしゃれ心は春によく合う

長寿はやはり生活習慣から

欲に釣られる危険を知ろう

試練肥やしに成長できれば

車を持たねば利点こんなに

まじめな人が報われない世の中

正しい倫理観まず親自身が

名前を覚えてもらえる人に

もっと使おう詰め替え商品

当たれば幸せ外れて厄払い

梅干漬けて幸せを思う

小さな幸せ集めてゆけば

出来ることから

心にしみた「人生10訓」

笑顔が幸せ運んでくれる

高血圧の夫の健康のために

一歩一歩を踏みしめて

視覚障害者仲間の遺品もらう

友情願うなら誠実を第一に

感性磨いて若々しさを

飽食一辺倒減量の社会でいいのか

一冊ごとに世界が開く

「笑顔」という名前にひかれ

「一期一会」を心に生きたい

いい顔になる13ヵ条です

学ぶ姿勢を忘れずいたい

思い出が増幅アルバム整理

父譲り

私の長年の夢伊予柑で実現

この土地に根を下ろし

開き直って明るく生きる

初めて覚えた本当のくぎ煮

相手を立てる言葉で話そう

読書で心に潤い与えて

悲劇を起こすな少しは我慢を

おしゃれして気分変えよう

自然は着実に季節を運んで

先送りやめて時間生かせば

罪の意識がない恐ろしさ

母の看病で覚えた不安

「3高」よりも人格を大事に

駅や車内の放送明確に

逆療法で暑さを解消

急な欠席は大勢の迷惑

物を大切にしない子供たち

お千代さんの感性を見習いたい

念願かなってワープロ入門

大切にしたい日本語の良さ

負の遺産だけ残していいのか

文明の利器は大いに活用だ

私の家にも春が巡って

 

仲間の協力で夢の歌づくり

 

 いつもは家人に新聞を読んでもらっています。

視覚障害者になって、読み書きが不自由になったころ、

音声ソフトを入れれば、パソコンでいろんなことをして楽しめることを知りました。

 その一つが自分のホームページを開設することです。

歌詞に曲を付けて歌にすることが私の念願でしたが、その夢をやっとかなえることができました。

 ホームページに私のつくった「歌謡詞」を書き、ネット仲間が曲を付け、別のネット仲間が歌ってくれました。

私を含め3人で、それぞれ作詞、作曲、歌唱と分担して、素晴らしい作品が完成しました。

 「春になれば」というタイトルで、動画サイトのユーチューブにアップすることができ大変好評です。

アクセス数もどんどん増えています。

 こうして障害者であっても、努力と工夫で夢を実現できたことは、

私にとっては、大きな喜びで達成感に満たされています。

 

ハイビスカスの花

 

市が管理する花壇の模様替えのため、植えているハイビスカスの花を廃棄処分にするのでほしい人は取りに来るように、

との話があり、さっそく出掛けて行って、たくさんのハイビスカスの花を貰って帰ってきました

廃棄処分する花だからと、あまり期待していなかったのですが、葉っぱはみずみずしく青々としています。

花は赤や黄色、ピンクの花はまだまだきれいです。

その花を見ていて、十数年前に家族で行った沖縄旅行で、島のいたるところに

咲き乱れていたのを思い出し、懐かしくなりました。

来年の夏には色鮮やかな花が我が家の庭を彩っていることを想像しながら、冬の手入れをしています。

 

視覚障害者仲間の遺品もらう

 

視覚障害者の私は、視覚障害者向けのパソコン教室に通っている。

先日、仲間の方が亡くなられた。

ご遺族は、その方の使われていた視覚障害者用の音声ソフトやパソコン周辺機器、

点字本など数十点の提供を申し出て下さった。

教室の先生が私たちの希望を聞き、分けて下さった。

一つも無駄にすることがなく、本当に良かったと想う。

最近は人が亡くなると、お金や不動産価値のあるもの以外、

ほとんどの物は処分される時代である。申し出は本当に立派だと想った。

どんな物でも必要としてくれる人がいれば、その命を大切にすることになる。

私も日ごろから身辺整理を心がけ、もしもの時に使ってもらえる物を

家族に話しておこうと想った。

人の命も物の命も最後まで大切にしたいと想った。

 

お千代さんの感性を見習いたい

 

先日ある歌番組をみていたら、司会者がゲストの島倉千代子に

「いつまでも若々しくいられる秘訣はなんですか」と質問すると

{「一日ひと恋」} 一日一回は恋をすること」と言う答えが返ってきた。

私はなるほどと想った。

つまり一日一回恋をすると言っても何も色恋をすることでなく、

毎日一回は何かに感動すること。

野辺に咲く花にも可愛いと目を留める感性.

夕日を眺めて美しいと感じる心.

尊敬する人に出会えたとき.

疲れた気持ちを優しく包んでくれる思いやりの言葉.

友人や仲間の楽しい会話.家族の団欒のひとときーなど。

考えてみると毎日一回は何かに心を動かされたり、

ときめいたりして暮らしているものだ。

年齢とともに現実に流され鈍りがちな感性に磨きをかけ.

お千代さんの少女のようなみずみずしい感性を見習いたい。

 

文明の利器は大いに活用だ

 

最近ワープロの調子が悪かった。

そんな折.英単語を調べるのに電子辞書を買った。

これが意外とと便利でいろんな機能がついている。

分からない漢字も今までは細かい字の辞書を引くのが億劫で

いい加減に書いていた。

言葉を押すと簡単に漢字が出てくる。

英語の単語も和英.英和と思いのままである。

電話帳もついていて登録しておけば探したい人の番号がすぐに分かる。

メモをなくしたりなど手帳に書いたのかと探し回らなくてすむ。

その他いろんな機能がついているがまだ全部を自在に使うところまでは行っていない。

除所にマスターしてせっかくの文明の利器を無駄にしないよう

フル活用させて毎日の生活を便利に暮らしたい。

レトロなものもいいけれど.わたしにはやっぱりこのほうがいい。

コンパクトで軽いのもありがたい。

 

父譲り

 

子供のころからずっと、自分の指は太くて短く、

おまけに小さくていやだなぁと思っていた。いったい、

この不細工な手はだれに似たのだろうと、恨めしくさえ感じていた。

父が回復不可能の病の床についていた折、

父の手をさすりながら、はじめて気がついた。

父の手のなんと小さいこと。

私が思い描いていた父の手は、私たち家族のために一生懸命働いていた、

たくましく大きな男の手であった。四十数年余り親子でいながら、

私の妄想で父の手と私の手のイメーじが結びつかなかった。親不孝だったと思う。

でも近年は、いやだと思っていた手がだんだん好きになってきた。

少しくらいカッコウ悪くても、荒れないきれいな手でいたいと

大事にしてきたかいがあって、近頃では「きれいな手をしているね」と、

時々言われるまでになった。

父譲り 嫌いな手さえ 好きになり

 

私の長年の夢伊予柑で実現

 

わが家の庭に伊予柑(いよかん)の木がある。何種類かの実のなる木の中で

私が一番気に入っているひとつである。

この木は植えた翌年は五十センチ足らずの小さな木に

香りのよいおいしい実を三個もつけた。

小さな木に実をつけた無理がたたったのか三年ほど実をつけなかった。

ところが今年はたくさんの実をつけた。かわいそうであるが何度か摘果して

一メートル足らずの木に数個つけ、握りこぐし大の大きさになり青々としている。

秋には黄色く色づきよい香りを漂わせることだろう。

私が家の庭に果実の木を植えようと思ったのは

信州でもぎたてのリンゴをかじると果汁がぽたぽたおちたという話を

夫から聞いたからである。

もぎたてのフルーツの収穫は私の長年の夢となり実現した。

速く大きくなってたくさんの実をつけるのを楽しみにしている。

 

思い出が増幅アルバム整理

 

先日、ふと思い立って数年来たまっている写真の整理をした。

年と共に写真は正直だからとあまり撮っていなかったつもりが、

ずい分たまっている。一枚一枚手に取って見る。

満面に微笑みをたたえているもの、不機嫌そうな顔やぼーとして当惑しているもの、

きれいに撮れているものから、あとで見て大笑いしてしまったものまで、

どれもこれも私自身の心を映し出している。

懐かしさとともに一緒だった仲間や友人、そして今は亡き人の姿まで情景とともに

思いでとして浮かんでくる。やはり写真はいいものだ。「思いでのアルバム」の

歌ではないがあんなこともこんなこともあったとつぶやいて見たくなる。

これからも私の心のアルバムとおなじように一枚一枚増えていく写真も

私の生き方の「証」として大切にしていきたい。

再びおなじ時は巡ってこない人生だから。

 

大切にしたい日本語の良さ

 

先ごろ、若乃花の横綱伝達式の口上で「堅忍不抜」(けんにんふばつ)

=我慢強く耐え忍んで心を動かさないことと言っていましたが、

戦後生まれの私にとってはじめて聞く言葉でした。

このような難しい言葉は角界だけのものではないと思います。

日本語にもこんな素晴らしい言葉やことわざがあるのに、

最近は横文字や簡略語が多く使われるようになり、

言葉も乱れて尊敬語や丁寧語もいい加減に使われています。

戦後国語教育に使われる教科書もいろいろ改正されたと聞きます。

簡単な言葉や漢字にすることも大切であるが、やはり私たち日本人は

先人から受け継いだ母国語を大切にし日本語の中でも四文字熟語やことわざは短い言葉の中に大切な意味が込められています。

堅忍不抜の言葉も角界の人気者で努力を惜しまなかった若乃花だからこそ似合うのかも知れません。

 

いい顔になる13ヵ条です

 

いつも笑顔を心がけている私に耳寄りな話を聞いた。

それはいい顔になるための13ヵ条である。

@自分の顔を好きになろう。

A顔は見られることによって美しくなる。

B顔は褒められることによって美しくなる。

C人と違う特徴は自分の個性でチャームポイントと思おう。

Dコンプレックスは自分が気にしなければ他人も気づかないー。

続いてE眉間にシワを寄せると眉にもおなじシワができる。

F目と目の間を広げよう。

そうすれば人生の視野も広がる。

G口と歯をきれいにして心おきなく笑おう。

H左右対称の表情づくりを心がけよう。

I美しいシワを人生の誇りとしよう。

J寝る前にいい顔をしよう。

K楽しい顔をしていると心も人生も楽しくなる。

Lいい顔悪い顔は人から人へと伝染するー。

以上であるが、私もこれを教訓に心身共にみがきをかけて

年を重ねるたびに内面からにじみ出るような美しさでいたいものである。

 

希望失わぬ船村徹さんの歌

 

テレビの歌番組で先日、

作曲家の船村徹さんの特集を見ました。どの曲も素晴らしいものでしたが

ご自身が歌われた「のぞみ(希望)」という歌にとても感動しました。船村さんは

刑務所の慰問を長く続けておられ、この曲は受刑者のために作詞・作曲されたそうです。

「ここから出たら母に会いたいおんなじ部屋でねむってみたい」

こんな歌詞と歌声には説得力がありました。

人はだれでも過ちを犯すことがあります。

受刑者の人たちは、何百回説教されるよりも、何千回正しい生き方を教えてもらうよりも

この歌を聞くだけで涙されたのではないでしょうか。

そして、この歌は受刑者でなくてもどんな状況にあろうとも、どんな境遇にあろうとも、

希望をなくすることなく、人として正しく美しく生きていくことを教えています。

多くの人の心を動かす歌だと思います。

 

 

初めて覚えた本当のくぎ煮

 

くぎ煮の季節も終わり、自分で作った最後のくぎ煮を味わいながら満足感に浸っています。

私が満足できるくぎ煮を作ったのは今年が初めてだったからです。

前に住んでいた所では生のイカナゴをあまり見ることがなく、釜揚げのイカナゴで作っていたのですが、味は今一つでした。しかしこちらに引越して来て近くのデパートで透明でキラキラ光る新鮮なイカナゴを目にしたとき、本当に感激しました。その上親切に作り方のプリントまで添えて売っていましたので、早速買って帰って我が家流にアレンジして炊いてみると大変

美味しくでき、家族にも好評でした。

翌日、娘を連れて買い物に行き、ショウガやイカナゴをたくさん買ってきて娘に作り方を伝授しながら手伝ってもらって、1少しずつに分けて丁寧に炊きました。

親類、友人、知人と送ったり手渡ししたりして大変喜ばれ、本当によかったなあと思いました。また一つ新鮮な興味が増えたようで、今から来年のくぎ煮の季節を楽しみにしています。

 

 

急な欠席は大勢の迷惑

 

子供の頃に楽しみに待った正月を思い出しながら、迎春準備をしています。年末は忘年会やクリスマス会、仕事仲間の会や

趣味の会、友人数人の集まりなど、いろんな席に出席する機会が多かったことと思う。いつも思うことだが、直前になって急に出席予定を取り消す人や当日何の連絡もなく欠席する人がいる。急用などで行けなくなった場合は仕方がないが、自分の

都合だけで欠席することはお世話くださる方にも迷惑をかけるし、出席者の雰囲気も壊すことになる。また、食事や飲み物の準備がある場合は余ったり無駄になったりすることが多い。自分があまり気が進まないときは、最初からはっきりと断っておくことが大切だ。また、約束するときも自分の予定や日程のやり繰りを十分頭に入れておいて決めるようにしたい。そして

急用でどうしても行けなくなったときは必ず連絡をし、できれば少なくとも前日までに世話人に知らせたいと思う。

 

 

まじめな人が報われない世の中

 

昨年は高い教育を受けたはずの政治家、官僚の汚職・疑惑が多かった。日本の繁栄と国民一人一人が平和に安心して暮らせる政治を考える人だけに立候補してほしい。金品や地位や名誉など私利私欲にばかり走り、本来の仕事を忘れるようでは困る。そしていま一度、選挙の在り方選び方を国民一人一人が考え直す時かもしれない。また、弁護士や医者、教育者などと言われる人の中にも、弱い立場の人を弁護したり、病人を救ったり導く本来の役目を果たしていない人がいた。悪事を見抜き、悪人を懲らしめ、弱きを助ける平成の水戸黄門様はいないのだろうか。まじめに一生懸命に働いて誠実に生きている人や、我を忘れて世のため人のためと頑張っている人々が報われない社会は許せない。今年こそはそんな人が報われる社会への第一歩になってほしいと願う。

 

 

頑張り過ぎず日々を豊かに

 

1月の終わりの雪がちらつく寒い日に、知り合いの方が40代の若さで急に亡くなられた。お仕事に趣味にボランティアにと完全燃焼の毎日を過ごしておられ、何事にも熱心に取り組んでおられた方だった。日頃から少し高血圧気味だった程度で、山登りを楽しまれるぐらいお元気だったから、急死の知らせを受けたときはとても信じられなかった。私たちはいつも若くいたい。いつまでも若いつもりでいて、無理をしている場合もある。しかし、中年期に入れば体力は少しずつ低下している。精神的な若さはいつまでも持ち続けたいが、肉体的にはやはり年齢を考慮しながら自己管理に注意しバランスが取れた食事や適度な運動を心掛けなければならない。そして何より欲張り過ぎず、ストレスがたまらない程度に自分がやりたいことに挑戦し、充実した日々を過ごして実りある人生の折り返し点にしたいものだとつくづく思うこの頃だ。

 

 

「笑顔」という名前にひかれ

 

青葉若葉が茂り、花咲き乱れる五月。我が家の庭先でもいろいろな花が家族の目を楽しませてくれます。私が何より楽しみにしているのは、この春植木市で買ったキーウィ、伊予柑、早生みかんの木が一斉に芽を伸ばし始めたことです。さるかに合戦の柿の木ではありませんが、「早く大きくなれ」「早く実がつかないかなあ」などと思いながら、毎日せっせと水やりに励んでいるのです。その時一緒買ってきた金木犀と山茶花も芽を吹いて少しずつ大きく育っています。この山茶花は、植木市で「笑顔」という名札が付けられていたのです。売り場の人の説明によれば、一本の木に赤、白、薄いピンク、濃いピンク、まだらと5種類の花が咲くということです。

寒い季節に耐えて咲くこの花を想像しながら名前がとても気に入って、心も顔もいつも笑顔でいられたらいいなあという願いを込めて買い求めたのです。我が家の庭の花も木も、それぞれに家族の思いを身に受けて育っています。

 

 

「一期一会」を心に生きたい

 

最近仕事をやめ、子供たちも大きくなって手がかからなくなったので、少しは自分の時間を持つことができるようになりました。

いろんなことに挑戦し、趣味の仲間やその他いろいろなお付き合いで友達の輪が広がり、楽しく過ごしています。

私がいつも思っていることは、多くの人たちに支えられて生活できるありがたさです。

そして私が常に心掛けていることは、人にしてもらって嬉しかったりありがたかったりしたことは人にも同じようにしてあげたい、自分がされて嫌なことや悲しいことは人にもしないようにということです。それでもまだまだ私の配慮の足りなさで誤解を招いたり、相手を傷つけたりすることもありますが少しずつ直すように努力しています。

人は誰でも人から親切にされたり、優しくされると嬉しいくせに、案外実行していないようです。これからは一期一会の出会いを大切にして、自分のできる範囲で人に親切にしていきたいと思います

 

物を大切にしない子供たち

 

 

子供たちが夏休みに入って、だらけがちな毎日を送っていることから、自分の部屋を片付けるように言っておいたところ、次々とゴミ袋を出してきれいにしている様子である。

しかし、ゴミ袋を見て驚いた。使い残しのノートが10数冊、小さくなった鉛筆、それにまだ使えそうな筆入れ数個も捨ててある。もったいないので拾って、ノートは雑記帳代わりに使い、鉛筆もまだ使えそうな物だけのけて、あとはごみに出した。

本当にもったいないと思う。木の伐採による自然破壊が言われるようになって久しく、私が「限りある自然を大切に」と言いながら広告のビラの裏を使ってメモ代わりにしているのを、子供たちは知っている。また、いつも物を大切にして無駄をしないようにいっている。それなのに、先の通りである。やはり、時代の流れだろうか。最近の子供は物を大切にしなくなったように思う。

 

 

一冊ごとに世界が開く

 

短かった夏も終わり、いよいよ秋本番。長い間、子育てや仕事に追われて読書らしきことから遠ざかっていましたが、最近時間と気持ちに余裕が出来たせいか、いろんな分野の本に挑戦しようと思うようになりました。

幸い市立図書館が近くにあり、一度に5冊まで、2週間の間、借りることが出来ます。面白くて感動とともに一気に読み上げてしまう本や、趣味が合わないのかなかなか読み進めない本などいろいろありますが、借りてきた本には一通り目を通すことを目標に、2週間の期限と競争しながら読書に励んでいます。

人との出会いと同じように、本の中の登場人物の生き方や考え方は共感を覚えたり、自分に重ねて勇気や希望を与えられたり、作者の人柄まで伝わってきそうな本に出会うと本当に楽しいものです。

自由で気ままな紙上の世界で、今日はどんな人に出会ってどんな所に行けるでしょう

 

 

友情願うなら誠実を第一に

 

最近年を重ねる度に、人と人とのふれ合いの大切さを感じるようになってきた。

夫婦の機微や親子の情を育てるのと同じように、友達についても長い付き合いの積み重ねが大切だと思う。お互い、相手のことが分かるまでに時間もかかるし、たとえ相手のことを理解しているつもりでも、意見の食い違いや感情の行き違いなどでなかなか短時間には、仲良くなれないこともあるからだ。しかし長い付き合いを重ねれば相手の良さもわかるし、

本当の優しさを発見することもある。その人の人柄や性格、個性を認めるまでには随分時間がかかるものなのだ。どんな人にも、そして自分自身にも、長所もあれば短所もある。このことを頭に置いて、自分らしく友情の輪を広げたい。

私がモットーにしていることは、友人を得たければ自分も相手にとっていい友人でありたいと願い、いつも真心を尽くし、誠実であるよう心掛けるということだ。

 

 

心にしみた「人生10訓」

 

先日、視力障害者の福祉大会に出席したとき、頂いた資料の中に次のような素晴らしい言葉が書き添えてありました。

@          人を大切にする人は人からも大切にされる

A          人間関係は、相手の長所と付き合うものだ

B          人に何をしてもらえるかよりも、自分には何が出来るかが大切である

C          仕事は言われてするものではなく、探してするものである

D          仕事では頭を使え、人間関係では心を使え

E          あいさつはされるものではなく、するものである

F          解かれるだけが勉強ではない。できることこそ勉強である

G          どこの学校を出たかではなく、何ができるかである

H          焦って選択して、人生ゆっくり後悔するようなことをするな

I          いい人生はいい準備から始まる

以上のことが書かれていましたが、日々忙しく暮らしている私たちもこの言葉をいつも頭の隅に置いて他人を思いやる余裕を持ち、常に自分を見つめ直し自己反省することを実践したいと思いました

 

 

飽食一辺倒減量の社会でいいのか

 

不況、不況と言われて久しい日本ですが、相変わらず物はあふれ、まだまだ使えそうな電化製品や家財道具が粗ゴミとして捨てられ、ホテルや食堂では惜しげもなく残飯の山が築かれています。そして飽食の後は有名人から一般の人に至るまでダイエット、ダイエットと減量に励み、そのための運動や教室にまで通わなければならない現状は本当にこのままでいいのだろうかと思ってしまいます。

このへんで国民一人ひとりが消費の在り方を見直し真剣に考えるべきではないでしょうか。

たった一度のコメの不作で起きる深刻な食糧問題、高齢化しつつある社会の福祉にかかる税金、地球温暖化による異変、自然破壊・・・。次々起こる出来事は、戦後の豊かさの代償のように思います。世界の国々の中には、戦争や貧困、飢餓や病気で亡くなる人も大勢います。日本は不況下にあっても平和で豊かで恵まれていることに感謝しなければと思うのです。

 

 

感性磨いて若々しさを

 

3月に入って日差しも暖かくなり、すっかり春めいてきました。春と言えばおしゃれをしたくなる季節。着る物も薄くて軽くなり、花柄や淡い色が美しく見えてきます。

そんな時、友人が手土産代わりにイヤリングやマニキュア、コンパクトなどをもって、我が家に遊びに来てくれました。何かと気分がめいりがちだった私には、とてもうれししいプレゼントでした。お互い決して若くない年齢になりました。人生においても、子供のこと、親のこと、自分自身のことと大変な時期ですが、自分を見失うことなく、感性を磨いて気持ちの若々しさを心がけ、身も心もおしゃれしていつまでもいい女でいようねと、励まし合って別れました。

私は髪を短くカットし、イヤリングを着け、弾む思いで新たな意欲を燃やします。

友人はダイエットに挑戦し、心身共にスリムに生きたいと意気揚々としています。

互の成長を信じ、再会を楽しみにしています。

 

 

念願かなってワープロ入門

 

の日が差し込む暖かな部屋で、私は今ワープロを打っています。ワープロは、字が下手な私の長年の夢だったのです。こうして自分が思いつくままキーをたたくと整然と読みやすい字が打ち出され、もう最高の気分です。これからは、このワープロを使いこなして、自分の思いを自由に紙の上に書き表すことができたらどんなに幸せなことでしょう。もう代筆を頼むことも要らないし、面倒な辞書を開かなくてもいいのです。機械音痴の私が使いこなせるかどうか心配でしたが、何とか操作できました。日記を書くようなつもりで、毎日ワープロに向かって文章を書き、友達にもどんどん手紙を書きましょう。機械的な文字の味気なさは、日々の暮らしぶりや近況報告を交じえて私の春風とともに送ることで償えるでしょう

昨日より今日、今日より明日と、少しずつ、一歩一歩前進できた喜びも伝えましょう。

 

 

「素直なこころ」を政治家に望む

 

ある本を読んでいると、故松下幸之助氏が残した言葉の中に「素直な心になりましょう。

素直な心はあなたを強く正しく総(そう)明にいたします。素直な心とは、単に人に逆らわず従順であることではなく、物事の真実と何が正しいかを見極め従う心」と書いてあった。日頃から素直な気持ちの大切さは分かっていても、どうかすると物事を先入観で見たり自分の考えだけで行動し、人の意見を聞く余裕をなくしたり偏見を持ったりすることがある。常に心を素直にすることは、簡単なようでなかなか難しい。

素直であうことの意味は柔軟で純粋無垢な心でもあり、私たちが日々の暮らしの中で忘れがちなことで、心してこの言葉を考えたい。

そして政治腐敗が問われる今、議員一人ひとりが素直な心で政治を行うならきっと国民のための明るく住みよい社会が実現すると思うのだが・・・。

 

 

高血圧の夫の健康のために

 

夫が会社の定期検診で高血圧気味だと言われていたとき、ちょうど高血圧について聞くことがあった。高血圧の管理は成人病予防の出発点とも言われ、脳卒中や痴ほうにならないためには日頃から血圧を自分でコントロールすることが大切だという。一度脳卒中になると、なかなか元通りには治りにくい。だが生活習慣を改め、規則正しい生活をすることで防ぐことができる。体質は20年近くかかってつくられるという。まだ若いからと安心せず、早速次の5点について注意し、実行したいと思う。

@          肥満に気をつけ、体重を減らすこと

A          軽い運動を毎日続けること

B          塩分を取り過ぎず、バランスのいい食事をすること

C          飲酒を控え、程々にすること

D          ストレスをためず、休養を十分にとること。

以上のことに気をつけて、夫婦そろっていつまでも健康で過ごせるよう頑張っていきたい

 

 

一歩一歩を踏みしめて

 

居間の壁にミレーの「落穂拾い」を写した額を飾っている。これは18年前友人が結婚祝いにと丹精込めて文化刺繍で刺してくれたものだ。あれから歳月は随分流れ、遠く離れて暮らしている私たちはめったに会うこともない。私にも彼女にもいろんなことがあった。

私は義父と義母を見送って仕事を辞め、今は自分の好きなことをして安穏に暮らしている。

彼女は若い身で夫に先立たれ、2人の子供の養育に一生懸命働いている。若い頃、苦労知らずで育った彼女が大変な苦労をしていると思うと、胸が痛む。不器用な私は彼女を慰めるようなものは何もつくれないが、せめて楽しく元気の出る言葉をつづって便りを送りたい。

人生山あり谷ありで困難も多いが、試練を乗り越えて頂上に到達したときの満足感と爽快感は経験した人だけが味わうことができる。人生の中間点にいる私たち、まだまだ道のりは遠いが、マイペースで歩き続けたい。

 

 

開き直って明るく生きる

 

藤本義一のエッセー<クヨクヨするよりウロウロ>で、「クヨクヨは心の窓を閉ざしてしまう。ウロウロは心の扉を開いて外に出て行く。深刻より真剣の方が人生に役立つ」と言っているが、我が意を得たりの心境である。

私も以前はよくつまらないことをクヨクヨ悩んで深刻に考えるタイプだったが、殻にこもって悩むより、なるようにしかならないと開き直って前向きに過ごすようにしている。すると以前より気持ちも明るくなり、物事をプラス思考で考えることができるようになった。

好奇心を持ってウロウロすると新しい出会いがあり、新しい発見がある。

子育ても一段落した今、第2の青春と思っていろいろなことに挑戦し、明るく楽しく生き生きと暮らしたい。失敗をしたときは人生何事も勉強、勉強と笑い飛ばして済ませ、クヨクヨよりウロウロ、深刻より真剣になれる根アカの性格を目指している。

 

 

相手を立てる言葉で話そう

 

「話し方教室」の講座で、以前スチュワーデスをされていた方のお話を聞きました。仕事柄、次のような言葉を大切にされているそうです。「いらっしゃいませ」「はい」「どうぞ」「ただ今」「恐れ入りますが」「失礼致します」「お待たせしました」「申し訳ございませんが」「かしこまりました」「ありがとうございます」・・・。

私たちもひごろ心掛けてこのような言葉を使うようにすれば、何と美しい響きの日本語になることでしょう。[頭ごなしに否定的な言葉を使ったり、「○○はいいけど××は駄目ね」といった後否定の言い方を知らず知らずにしていることがよくあります。言葉は心が口をついて出てくるものですから、明るく、楽しく、爽やかに、相手の気持ちになって、その人を認め信じる肯定的な話し方をすることが人付き合いを円滑にするコツです] とも言っておられました。私もそう心掛けたいとおもいます。

 

 

身近な四季の移ろいに喜び

 

実りの秋を迎え、山々も紅葉をましています。

一昨年に植えた金木犀や山茶花も、少しずつ大きくなりました。山茶花はたくさんのつぼみをつけ、金木犀はほのかな香りを漂わせています。そして早生みかんの小さな木は、けなげにも大粒の実を5個もつけています。黄色く色着いて完熟した初なりで初収穫のみかんをほお張ると、口いっぱいに甘酸っぱさが広がり、さわやかな気持ちになりました。水不足の暑い夏にもせっせと水やりをし、肥料を施し、除草に励んだ成果です。

植物でも手を掛け、愛情を持って育てると、ちゃんとこたえてくれることを知りました。

草花を観賞し、花木の香りにうっとりし、果実の収穫に満足し、四季の移ろいを身近に感じつつ、あるがままに自然体で生きて行けたらいいなあと思っている今日この頃です。

 

 

もっと使おう詰め替え商品

 

最近よく目にするものに詰替用商品がある。嗜好品から調味料などの食料品、シャンプーや洗剤などの生活用品に至るまでいろいろある。以前はあまり詰め替え商品もなかったし、カラフルなプラスチックや美しい瓶に入れて売られているとつい手軽で便利な方へ手が伸びてしまい、燃えないゴミや有毒ガスの出るゴミを出していた。しかしこの頃は、資源の節約にもなるしゴミの減量になり、わずかではあるが割安でもあるので、少し面倒でも詰め替え用を購入している。

過大包装を少なくし、発泡スチロールやプラスチック容器を減らして、格安で実質的な中身で勝負できる商品がどんどん市場に出回るようになれば、消費者もありがたいし資源保護にもなる。

こうしたことも、企業の姿勢と消費者の意識がうまくかみ合わないと実現しない。一人ひとりが節電について考える時かもしれない。

 

 

自然は着実に季節を運んで

 

昨日の好天気と打って変わって、今日は朝から雨です。

我が家では地震の直接の被害こそ少なかったものの、夫の会社が半壊状態になったため突然の単身赴任を強いられ、慌ただしい準備の最中にインフルエンザが次々に家族をおそいました。その上に娘の大学受験が重なり、気の重い2ヶ月余りが過ぎました。そしてふと気がつくと、我が家にも春がきていました。家族も健康を回復して娘の大学も決まり、夫も私たちも家族も少しずつ慣れて落ち着いた生活を取り戻しつつあるます。こうした家族の日々や震災で多くの貴い人命が失われた悲しい出来事には関係なく、季節は巡ってきたのです。

庭に白い可憐な水仙は風に揺れ、チューリップの球根は芽を出し、沈丁花が良い香りを漂わせています。自然の素晴らしさに感謝すると共に、被災地の皆様が心に春を感じる日が

1日も早く来るようにお祈りしています。

 

 

母の看病で覚えた不安

 

大型連休を前に実家の母が足の骨折で入院し、全治4ヶ月の診断を受けた。昨年の夏には両親揃って1ヶ月足らずの入院。そして次には秋に父が事故で骨折した。5ヶ月余り入院した。次々襲う災難にすっかり気落ちした母は「何かよ」とは言ってはみたが、やはり本人もつらいし看病する者も大変だ。とりわけ母の看病には困った。子供たちもそれぞれ仕事があり家庭の事情があったが、何とか話し合って交代で看病している。付き添いの人を頼むこともできるが、普通のサラリーマンでは到底続かない金額が必要だ。高齢化社会に向かい少子化が進む時代、私たちが年を取った頃はどうなっているのか心配だ。ますます福祉が充実され、高齢者や弱者が安心して暮らせる社会になっていることを望むばかりだ。

 

 

「3高」よりも人格を大事に

 

最近は結婚相手を選ぶときも「3高」などと言って高学歴、高収入、おまけに背が高くて二枚目がいいなど、とかく目先の条件にとらわれがちだ。だが、ある先生が「その条件にもう3つ足して考えたらいいですよ」と言われたことがある。

まず第1は健康であることだ。体の健康は言うに及ばず、心が健康でなければ相手を思いやる余裕も生まれない。第2は親を大切にする人ということだ。歴史上の人物の中でも、大成した人は例外なく親孝行だった。そして第3は遺伝を考慮する。病的遺伝というより、短気な性格の人は温和な人を、背の低い人は少し大きい人を選ぶようにするといいというわけだ。いくら学歴があっても、サリンを製造して多くの人に被害を与えたりするような人では困る。いくら高収入でお金があっても、人の心は買えない。こうしたことを考えると「3高」は影が薄くなるはずだ。

長い一生を共にするパートナーである結婚相手は、人格重視で選んでほしいと思う。

 

 

駅や車内の放送明確に

 

私は時々最寄駅からJRの列車を利用するが、ホームで待っていると、「列車が入ります。ご注意下さい」と放送するだけで、肝心の行き先や列車の種類を言わない。こんな時、お年寄りや目の不自由な人はとても困られるようだ。現に、よくお年寄りの人に尋ねられる。駅員は「次は○○行きの××が入ります」とはっきり放送してほしい。また、列車に乗っていて感じることだが、車内放送が聞き取りにくいことがある。知っている駅名やいつもよく乗っている沿線ならすぐにわかるが、初めての所や耳慣れない駅名のとき、変なアクセントや発音が不明瞭な放送をされたのでは、車内放送に頼っている者はとても不便だ。

バスなどのワンマンカーのテープのアナウンスのように、どんな人にも正確に伝わる、分かりやすい放送を心掛けてほしいと思う。

 

 

逆療法で暑さを解消

 

毎日の暑さに体もだるく何もしたくなくなる。そんな時思いきってクーラーを切り、窓を開け放し、首にタオルを巻いて家中の大掃除に取り掛かった。掃除機をかけ、モップで床を磨き、トイレ、台所、風呂場と日頃手を抜いている所も念を入れて磨くと玉のような汗が噴き出してくる。顔も体も汗まみれになって、一心に掃除をしていると、つまらない悩みごとも、すっかり忘れてしまっている。シャワーを浴びて着替えるとさっぱりした。

暑さの中、わざわざストレス解消に出かけなくても、家にいて体を動かしたり、気分を変えたりすることは出来る。家もきれいになり、気分もさわやか。これぞまさしく一石二鳥。

これからも暑さに負けない工夫をしながら、元気にこの夏を乗り切りたい。

 

 

正しい倫理観まず親自身が

 

最近、現代の中学生の倫理観についての記事を見ることがあった。

ひと昔前と現在とでは、価値観もものの見方も随分かわってきた。子供と大人、若者と高齢者でも考え方が違う場合がある。時代の流れや社会情勢によっても、何が正しくて何が悪いかという画一的な考えでなく、柔軟な倫理観を持つことが大切だと思う。基本的には、個人または社会に迷惑を掛けない、自分と他人の区別をきちんとして他人の領域を侵さない、人間として正しい道徳観を持つ等々があげられる。しかしどんな時にも判断を下すのは自分自身だから、日頃から子供たちに正しい倫理観が育つように、親自身の姿勢が大切であることを痛感した。それによって子供のいじめによる犯罪や自殺、常軌を逸した凶悪な事件、オウムに走った若者のような人々がなくなることをいのりたい。

 

 

子供の心に届くしつけを

 

先日、子供のいたずらで高層マンションの上階から消化器を落とし、下にいた少女を死に至らしめるというショッキングな出来事があった。この出来事で感じたのだが、時々見掛ける光景に、病院の待合室や乗り物の中で子供がいたずらをしたり、他人に迷惑を掛けていても一向に注意しない親がいる。叱っても人の手前、口先だけのポーズで注意していると、子供はそれを敏感に読み取って、いくら叱って言う事を聞かない。しかし、親がされて困ることや重大な結果を招くような場合は本気で叱るから、子供は親の顔色を見てすぐにやめる。こうしたことからも分かるように、いつでも親は本気で事の善悪を子供に諭し、正しいしつけをして欲しい。子供の心に届くように本気で注意していれば、今回のような事件は未然に防げたのではないのか、起きてしまってからではおそいのだ。

 

 

当たれば幸せ外れて厄払い

 

今年は年の初めから阪神・淡路大震災、地下鉄サリンなどオウム関連の事件、そしていじめによる子供の自殺等々、暗いニュースが多かった。我が家でも夫が単身赴任からやっと元の職場に復帰したのも束の間、病に倒れて入院、手術その他諸々と、気の重くなる出来事が続いた。そこで毎年、夫が遠くまで出かけて買っていた年末ジャンボ宝くじを売り場による当選率の違いは売れる数の違いだけだと言って私が近くで買った。当たるかどうかは分からないが、当たればツキが回って来たと思い、もし外れたら厄払いが出来たと思うことにしよう。迷信は信じない私だが、都合のいいことは信じて気分転換を図り、嫌なことはさっさと忘れて来年こそはきっと素晴らしい年になるように、夢と希望に胸をワクワクさせながら発表の日を待っている。

 

 

約束の日時は復唱してメモ

 

新しい年になって間がないが、今年もいろいろな行事や会合、友達との約束など出掛けることが多いだろう。そんな時、ついうっかり忘れていたり、思い違いや勘違い、開き違いなどで予定していた事が駄目になった事がこれまでに何回かあった。そこで最近、人と約束をする場合、直接会っている時でも電話での時でも、日時と場所を必ず復唱するようにしている。そうする事で、相手にも確認してもらう事が出来る。そしてカレンダーに日時と場所を書き込んでおく。こうしておけば物忘れも防げるし、次の予定も立てやすいし、うっかりミスも少なくなる。今年もこうしたことに気を付けて、自分自身にも相手にも不愉快な思いをせずに楽しく過ごせるようにしたいと思っている。忙しい時代、電話での約束が多い人や、時間単位のスケジュールで動かれる人にぜひこの方法をお勧めしたい。

 

 

苦労の後の喜びを知った

 

私は今年、自分自身に誓ったことがある。今まで私は人から何かを頼まれたり役が当たったりしても、自分は向かないからとか忙しいからとか、もっと他に適当な人がいるはずだなどと、いろいろ理由を付けて断ってきた。そして、自分の好きなことだけをして毎日気楽に楽しく暮らしてきた。ところが昨年どうしても断りきれずに引き受けた役で多くの素晴らしい人たちとの出会いを体験し、苦労の後の何倍もの喜びと、成し遂げた時の充実感を味わうことが出来た。また、必然的に勉強する機会も多く与えられ、努力して向上しようと思うようになった。これからは頼まれれば面倒だからとか嫌だとか思って逃げずに、自分を試すいい機会が与えられたと思って出来る範囲で頑張ってみたい。早速頼まれたいくつかの仕事がある。私に出来るかどうかちょっぴり不安でもあるが・・・。

 

 

私の家にも春が巡って

 

今日は久しぶりの上天気。朝から布団を干し、部屋の掃除を済ませ、コーヒーを入れてゆっくりラジオを聴いたり新聞を読んだりしていると、部屋の中は窓から差し込む日差しでぽかぽかと春本番のように暖かい。自然の恵みに感謝感謝だ。厳しかった2月もようやく終わり、待ち兼ねた3月がやって来る。去年は夫の入院で大変な年だった。そして今年の冬は例年にない厳しい冷え込みで、手術後の夫には体にこたえる寒さだった。外に出るとまだ風は冷たいが、水仙のつぼみが開き始め、山茶花は今を盛りと咲いている。あゝやっと春、待ちわびた春。今年こそ家族皆健康でいい年にしたい。長女の成人式の晴れ姿も見ることが出来た。幸い今のところ、ささいなことながらいいことが続いている。人生も同じことかもしれない。冬来りなば春遠からじを実感している。

 

 

学ぶ姿勢を忘れずいたい

 

賢者と愚者についての話を聞いた。賢者は自らも学び、愚者からも学ぶ姿勢を持っている。愚者は自らも学ばないし、賢者からも学ばない。剣豪宮本武蔵は最初は一刀流だったが、猿回しの猿が2本のバチをうまく使って太鼓を叩くのを見て二刀流を編み出したそうだ。この例えでも分かるように、偉大な人とは常に謙虚な姿勢と素直な心、発想の柔軟性と向上心を持ち続けている人だと思う。私たち凡人は順調な時にはとかくこれらのことを忘れがちだ。だが賢者の姿勢で物事を見聞するとき、どんなつまらない雑誌の中にもキラッと光る文章を見つけたり、人との対話の中にも素晴らしい言葉を聞くことがある。日々新たな気持ちを持ち続けることは難しいが、精神的に愚者にならないように努力しなければと思う。

 

 

罪の意識がない恐ろしさ

 

最近、主人が駅前の駐輪場で自転車を盗まれた。カギを掛け、名前も電話番号も書いていたのにいまだに返ってこない。乗って行った人は軽い気持ちだったかもしれないが、なくした物には深刻な問題だ。たちまち通勤の足にも支障を来す。ここ何年かの間に、我が家だけでも数台の自転車を盗まれている。警察に届けても付近を捜しても、ほとんど出てこない。どこかに乗り捨てられて雨ざらしになっているだろう。実際、私が散歩する数キロの道端にも何台もの自転車が乗り捨てられている。乗っていく人には、他人の物と分かっていても罪の意識がないのではないか。小さな犯罪が大きな犯罪へと発展してゆかないともいえない。これぐらいのことと思わず悪いことは悪い事として、なくした者の身になってこれからは絶対やめてほしい。

 

 

先送りやめて時間生かせば

 

最近、忙しさにかまけて当面しなければならない用事を優先し、急がない用事やどちらでもいいことは後回しにしていた。だがそのうちに時間のある時や気持ちに余裕があるときにゆっくり片付けようと思って先送りしていると、いつまでたっても片付かないばかりか、もうどうでもよくなって放り出してしまうことさえある。「思い立ったが吉日」と言う。これからは日頃の怠慢を返上して、思い付いたことはすぐ行動に移すようにしたい。せっかくの妙案も時がたつと忘れるし、訪れたチャンスも逃がすことになる。過ぎてしまった時間は二度と返らない。その時その時を大切にし、時間を有効に使って毎日を有意義に過ごすようにすれば、もっと多くの事が学べ、もっといろいろな素晴らしい事に出会えそうに感じるこの頃だ。

 

 

負の遺産だけ残していいのか

 

梅雨のさなか、田んぼは青々としてのどかな田舎の田園風景が見られます。しかし、ここ4,50年程の間に減ったものと言えばトンボ、ドジョウ、イナゴ、蛍等々、かってはどこの田舎でも見られたものがあります。私たち大人が子供の頃に体験した自然の中で草花を摘んだり生き物を捕まえたりして遊んだことも今の子供たちは経験することなく大人になるのでしょうか。それどころか、このまま自然破壊が進めばそうして生き物そのものが絶滅してしまうかもしれません。そして、増え続ける赤字国債も次代を担う子供たちが背負わなくてはなりません。せめて私たち大人は悪いものばかり残すのではなく、いいこともいっぱい残して子々孫々まで受け継いでいってもらえるような環境をつくってゆかなければならないと思います。

 

 

おしゃれして気分変えよう

 

毎日うだるような暑さが続いて気持ちまでだらけがちになるが、こんな時こそ気分転換におしゃれをして気を引き締めたい。年だからと無難な格好ばかりしているのではなく、思い切り若々しくカジュアルなファッションでレジャーやショッピングに出掛けるのも楽しい。また、シックなものをエレガントに着こなしてコンサートや改まった席に出るのもいい。役者のように変身とまではいかないが、装いを変えることで気分も若やいだり華やいだりするから不思議だ。私もそう若くはないが、まだまだ人生の通過点。精神的にも肉体的にも若さを保ち、健康に暮らしたい。年頃の娘たちの会話にも耳を傾け、一緒におしゃれを楽しんで、おばさん思考を嫌がられないように世の中の移り変わりに目を向けながら、自分らしく個性的な装いで生活をエンジョイしていきたい。

 

 

悲劇を起こすな少しは我慢を

 

今年もまた、パチンコに熱中している間に子供が事故に遭って亡くなるという痛ましい出来事が相次いだ。確かに子育て中の若い若いお母さんはストレスがたまることも多いと思う。しかし、幼い命は親の保護がなければ守れないのだ。親にしても、自らの不注意で可愛い我が子を亡くすことになるなだとは想像もしていなかったとおもう。生涯罪の意識にさいなまれるぐらいなら、自分のしたことをしばらくだけしんぼうするとか、子供を誰かに見てもらうとかの工夫は出来なかったものか。子供が親を必要とする時期はそう長くはない。それなら開き直って子供の年齢に応じた楽しみを見つけ、親子で楽しみながら成長するにつれて子離れしてゆくのもいいだろう。子供が小さい時は小さい時の、大きくなれば大きくなった時の子育ての楽しみがきっとあるはずだ。どうかしばらく我慢をしてほしい。

 

 

読書で心に潤い与えて

 

秋本番。食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋です。何をするにも気持ちのいい気候になりました。私たちは、目まぐるしく移り変わる社会情勢の中で暮らしています。ちょっと心が疲れてストレスがたまったら、読書をしてみてはいかがでしょう。読書の楽しみは、何といっても自分中心に、好きなときに好きなものを好きなだけ楽しむことが出来ることにあります。これなら他人に気を使うこともなく、時間に追われることもなく、マイペースで楽しめます。私も趣味はいろいろありますが、ストレス解消にはやはり読書が欠かせません。最近読んだ本では、先ごろ亡くなられた遠藤周作さんの「深い河」に大変感動しました。これからも人生の岐路に立ったとき、悩んだり、落ち込んだりしたときなど、心模様に合わせて服を選ぶように、心に潤いを与えてくれる素晴らしい本に出会いたいもいです。

 

 

好きで始めたことならば・・・

 

趣味の効用についての投稿をよく見る。確かに趣味を持つことは生きがいや仲間づくり、ひいては健康づくりにもつながる。私にも趣味がたくさんあるが、ものよっては気楽で楽しいばかりではないことも多い。あるときは人付き合いに気を使ったり、苦労や努力を要求されることもある。そんな時、あくまで趣味だからと、嫌なことやしんどいことがあるとさっさとやめてしまう人がいる。以前の私もそうだった。しかし、最近は少し考えが変わった。どんなことでもスランプやマンネリは付き物だ。自分が好きで始めた趣味である。好きなことで苦労するのは本望ではないか。一つ一つのハードルを乗り越えて、目標に向かって努力することも大きな喜びにつながる。その結果がきっと結果として表れることを信じて頑張りたい。

 

 

出来ることから

 

 買い物に出かける途中、信号待ちをしていると、若い男性が白いつえをついて歩道を歩いてこられた。見ていると、車道と歩道の分離帯辺りで、つえを頼りにしきりに何か探している様子。声を掛けようか、どうしようかとためらっていると、分離帯を避けて歩道を歩き始められたので、ほっと安心した。

 ところが、再び立ち止まって、何かを探すそぶり。思わず駆け寄って「どちらへいかれるんですか」とお尋ねすると「歩道橋を探しているんです」とのこと。「通り過ぎていたんですね」と言われた。

 無事目的の場所まで着かれることを願いながら、遠ざかる後ろ姿を見送ったが、健常者であれば何でもないことでも、障害を持っておられる人々にとっては大変なことが多いのです。出来る人が、出来る時に出来ることをして、互いに助け合う。それこそがボランティアだと実感した。

 

 

長寿はやはり生活習慣から

 

 先日、不老長寿のための十二か条の話を聞いた。

 それは▼野菜は一日三百グラムを食べる▼魚は青魚を中心に一日八十グラム▼肉も脂身を避けて一日五十から百グラム▼豆類も欠かさず、豆腐なら三分の一丁▼完全食品に近い牛乳は一日四百ミリリットル▼海藻もなるべく毎日▼キノコ類もなるべく毎日▼リンゴなら一日一個、果物も毎日食べよう▼脳を守る芋は一日百グラムが目安▼ご飯は毎食百五十グラム以上しっかり食べる▼呼吸法でストレスを解消▼息が切れない程度にキビキビ歩く

というものだ。

 毎日の積み重ねである食生活がでたらめであると成人病にもかかりやすい。私たちの生活の中には便利な物があふれ、インスタント食品をはじめ加工食品も手軽に手に入る。歩かないでいい交通手段も整っている。だからこそ、健康で長寿を全うするためには日ごろから意識して正しい生活習慣を実行することが大切だと思う。

 

おしゃれ心は春によく合う

 

 日増しに温かくなってくる。春の陽光は花々をはぐくみ、私たちの身や心も軽くしてくれる。オシャレをして出かけるのにも楽しい季節だ。

 最近は大人から子供まで、やれルーズソックスだ、ナイキのシューズだ、プラダのバックだ、フェラガモの靴だと、次々に流行やブランドを追い掛けてる人が多い。

 ブランドも流行もいいけれど、そうしたことに左右されずに自分らしく個性的なオシャレをするのもいいものだ。第一、お金もあまり掛からない。手持ちの洋服やアクセサリーを組み合わせたり、靴やバッグを変えてみるのもいい。何といっても春は心が弾む。

 主婦だからとか年だからと言って身を構わないでいると、老け込んでしまいそうだ。いくつになっても女だということを自覚して、オシャレ心を持ち続けたい。

 女性も男性も、ちょっと気配りしてきれいにしておいた方が若い心を失わずにいられる。

 

笑顔が幸せ運んでくれる

 

 数年前、「紀子さまスマイル」という言葉が流行しました。そのとき私は、紀子さまには遠く及ばなくてもせめて笑顔でいられたらと思い、いつも笑顔を心がけるようにしました。すると周りから明るくなった、若々しくなったと言われるようになりました。

 長い年月の間や日々の生活の中には、笑顔でいられないようなこともたくさんあります。しかし、いつまでもクヨクヨしていても仕方がありません。物事をいい方に考え、プラス思考に当たりたいものです。

 人生山あり谷ありです。楽しいこと、うれしいこと、苦しいこと、つらいこといろいろありますが、いつも笑顔を忘れず前向きに生きてゆきたいと思うのです。

 何かの本で読んだことがありますが、顔が笑えば心も晴れる、心が晴れれば気持ちも弾む、気持ちが弾めば身体も元気になる、体が元気ならば心身ともに健やかになり美しくなるそうです。

 

小さな幸せ集めてゆけば

 

 年齢と共に、私の好みも変わってきた。若い頃は菓子パンと言えばカスタードやチョコレートなどのクリーム系が好きだったのが、最近はアンパンに凝っている。

 長い間、納得のゆくアンパンに巡り合ったことがなかった。中のあんこが甘過ぎたり、偏っていたり、パン生地が分厚かったりと、なかなかおいしいものがなかった。でも、やっと見つけた。濃い目のキツネ色の焼き具合、上に載った黒ゴマ、持ち上げるとずっしり重い。あんも甘過ぎない粒あんで、私の好みにぴったりなのだ。アンパン一つでハッピーになれる私も単純だが…。

 こんなささやかな楽しみや小さな喜び、幸せをいっぱいいっぱい寄せ集め、大きな大きな幸せに育ててゆけたら素晴らしいと思う。ややもすると私たちはこの逆のことを感じながら暮らしていることの方が多いのだから。

 

梅干漬けて幸せを思う

 

 山々に囲まれた山村のレジャー施設を訪れた時、近くの即売場で青々とした新鮮で安い梅を見つけ、大量に買い求めた。そして毎年実家の母にもらっていた梅干を今年は奮起して自分で漬けることにした。付いていたパンフレットを片手に、娘に手伝ってもらいながらハカリで計量しながら丁寧に漬け込んだ。

 重石をして二、三日もすると梅酢が上がってきたので重石を軽くし、土用干しをする日を楽しみに待っている。自家製の梅干はきっとおいしいだろう。

 うれしくなった私はブランデーで梅酒をつくり、娘は果実酒に挑戦した。香りを増して少しずつ琥珀色に変わっていく様子を眺めながら、親子で出来上がりの味やいろんな果実で試してみることなどを話していると、平凡ではあるが家族が健康で仲良く暮らせる幸せがじんわりと広がってくるように思う。

 

名前を覚えてもらえる人に

 

 会合の席や趣味の活動などで、初めての方や、何度かお会いしていても名前を知らない方とお互いに名前を尋ねあったり自己紹介したりするが、なかなか一度では覚えられなかったり、覚えたつもりでいてもすぐに忘れてしまったりすることがある。そんな時、自分の名前を名乗るだけではなく、字を説明したり、有名人や歴史上の人物と同じ名前なら重ねて言ったり、気の利いたコメントの一つも付け加えるとあいてみ覚えてもらいやすい。

 私も相手の名前を聞いたとき、そのように重ねて覚えたり、会ったときの雰囲気をイメージに変えて覚えたりするように努力している。

 人を知ることはまず名前を知ることから始まる。記憶に残したい人、忘れられない人、そんなすてきな人ともっともっと出会いたい。そして、私も相手にいつまでも覚えていてもらえるような人になりたいと思う。

 

この土地に根を下ろし

 

 残暑とはいえ、日中の日差しはまだまだ厳しい。その強い日差しを受ける我が家の西側の窓の横には、ネコヤナギの木が植わっている。

 この木はここへ引っ越してきて間もない頃、近所の奥様から苗木で頂いた。五十センチ足らずの小さな木だったが、この数年の間にぐんぐん大きくなり、一階の窓をすっぽり覆う大きさに育った。春先には銀色のかわいい芽を付け、夏には日よけになるし目隠しにもなる。冬には葉をすっかり落とし、暖かい日差しを招き入れてくれる。

 私はダイニングテーブルのいすに腰掛け、レースのカーテンを開けて熱いコーヒーをいれ、木の葉越しに入る涼風に安らぎを覚えながらぼんやりと天然の緑のカーテンを見つめて自然を感じる時間が大好きだ。こうしていると、この木も私たち家族もこの土地に根を下ろし、根を張ってきたことを実感するのだ。

 

車を持たねば利点こんなに

 

 私たちの生活の中で、あれば便利で楽という理由で購入する品物が結構ある。車もその一つだ。

 通勤にどうしても必要な場合とか辺鄙な場所でほかに交通手段がない場合を除くと、日本は交通網が発達しているから自由にどこへでも行ける。

 我が家には車がない。あれば便利で楽だろうと思うときもあるが車がないからいいこともたくさんある。

 まず公害を撒き散らすことがない。車による事故の心配がない。したがって車の保険に入らなくて済む。購入代金がいらない。買い替えや車検の費用もかからない。ガソリン代もいらない。車庫のスペースもいらない。車がなければ必然的に歩くことが多くなり、健康にもいい。加えて、無謀な若者のアソビ道具になって危険を招くこともない。

以上のようなもろもろの利点を考えて、車を持たないことは金銭的・精神的余裕につながっていると思っている。

 

試練肥やしに成長できれば

 

 竹は節が多いところほど強いといわれている。私たちの人生でも、何度も試練や困難に遭うときがある。そのたびにそれを肥やしにしバネにして大きく成長する人と、そうでない人とがいる。

 私もどちらかというとくじけそうになることの方が多いが、幸いなことに家族や友人の励ましやアドバイスによって無事に乗り切ってこられたことに感謝している。それからもいろんな出来事や体験を通して、巨人監督の長島さんの言葉のように「プレッシャーを楽しむ」ことができたら、どんなことにも余裕を持って対処でき、どんなにか素晴らしい満足感や充実感を味わうことができるだろうと思う。

 そして一つ一つの試練や困難を克服するたびに、私たちもまた竹と同じように地下にしっかりと根を張り、強くたくましく真っすぐに大きく成長していきたいものだ。

 

欲に釣られる危険を知ろう

 

 先日、人生訓とも言うべき面白い話を聞いた。「飛んで苦に入る欲の虫」というものだ。

 みての通り「飛んで火に入る夏の虫」をもじった言葉で、虫は明かりを求めて飛ぶ習性があるため、危険な火であっても明かりと見ると飛んでいって苦境に立つことになる。人間も欲望という自我を満足させるため、知らず知らずのうちに苦境に陥ることになりやすいという戒めだ。

 私たちも欲に目がくらみ、前後のことや大切なことを忘れrることがある。

 それにしてもこのところの金融機関の不祥事は目に余るものがある。私たちも今一度冷静な目でものを見て行動しないと、わずかなトラの子まで失うことになりかねない。

 この言葉は政治家の方々にも心していただきたい。どんなときでも、しわ寄せは弱い立場の庶民に来るからだ。

 

能力一辺倒の教育こそ元凶

 

 最近、未成年者による殺傷事件や集団婦女暴行事件などが相次いで起きている。実に物騒で恐ろしいことだ。被害者になっても不幸だし、加害者になっても前途ある一生を罪を背負って生き続け、苦しまなければならない。

 未成年とはいえあまりにも短絡的過ぎる彼らの行動は自制心を欠いた欲望だけに突き動かされたもので、前後のことや相手の痛み、自分の将来のことなど全く念頭にない。

 こうした事件が起きるたびに、戦後民主主義の名の下で自由奔放な思想がはびこり、自分の欲望や欲求のためなら他人はどうなっても顧みなくなったのは、正しい教育が行われていないからだと思わざるを得ない。その欠点を正すためには、受験戦争に駆り立てる能力一辺倒の教育を、心を育てる道徳教育に重点を置いたものに早急に切り替えねばならない。

 このままでゆくと少年犯罪はますます低年齢化、凶悪化しそうで、日本の将来が心配でならない。

 

若い時から趣味持とう

 

 最近どこのカルチャーセンターも大繁盛である。自ら学ぶ姿勢さえあれば、熱心で立派な講師の指導を誰でも簡単に受けることが出来る結構な時代である。

 短歌俳句などの文芸教室、草花や野菜を育てる園芸教室、カラオケ教室やダンスなどの社交的趣味、その他沢山の教室がある。私の見聞きする高齢者の中にも、老人大学に通って、教養を高める方、シルバー人材センターやボランティア活動に参加して活躍されている方など沢山おられる。そんな人たちを見ていると病気やボケなど無縁で、今が“老春”とばかりに輝いておられる。年齢も父とあまり変わらない人を見るにつけ、現在病気で寝てきりの父を不憫に思い、なおかつ自分の老後のあり方を考えるきっかけにもなった。

 こう考えると体力のある若い間から健康に注意して、いつまでも楽しめる趣味を持つことだと思った。

 

 

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